第19ベースキャンプ

人生に迷う25歳男の日々を綴るブログ

恥の多い生涯を送って来ました 〜その1〜

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どうもこんばんは。

前回の更新からまた日数が開いてしまいました。今回は仕事が想像以上に忙しくなったのが原因です。この記事を書いているのが日曜の夜、明日の仕事が嫌で吐きそうですが、ストレス発散の意味も含めて、予告通り自分の生い立ちを綴っていきます。

 

そんな精神状態ですので纏まらない文章になるかと思いますが、悪しからず。まずは現在の僕の状況をご紹介してから、これまで生きてきた25年間を遡っていきます。

現在

現在、僕はとある大手金融機関で働いております。世間的に見れば、いわゆる「勝ち組(死語か?)」と呼ばれる部類の会社だと思われます。普通に問題なく働き続ければ、30歳前半で年収1,000万到達は可能。その分仕事は激務ですが、福利厚生も手厚く、会社にしがみついていけば(会社が潰れない限り)金銭的に裕福な生活が送れる、そんな会社に勤めています。

これだけ書くと、ただ自慢したいだけの嫌な奴です。わざわざブログを立ち上げてまで自己顕示欲を満たしたいのか…(困惑)って感じですが、決して何不自由なく楽しく生きて、普通に就職できたわけではありません。自分なりに相当苦労して、何とか這い上がって、ようやく手に入れた今です。

そんな自分のこれまでの25年間の人生を一言で表すなら

「コンプレックスとの戦い」

この一言に尽きます。自分のコンプレックスには、大きく分けて2つの軸があります。

それは「家庭環境」と「身長」です。

家庭環境

僕の実家は父・母・自分・弟の4人家族ですが、なかなかに貧乏で、かつ家族関係がよろしくありませんでした。

郊外に住んでいるにも関わらず、家はずっとボロボロの賃貸マンション、車はなし(父の会社の営業車を間借りしている状態)、毎月家計は火の車というボンビー家族です。

そんな状態なので、母親は常に金銭的にピリピリしています。「今月どうしよう」と ため息まじりに呟く母の背中は鮮明に記憶に残っています。

父の方はというと、低賃金・長時間労働、暴力制裁は当たり前のTHE★ブラック中小企業に勤めており、そのストレスからか休日は家族にあたり散らかしていました。父から攻撃を受ける母を守るために、弟と一緒にボコボコに殴られた回数は数しれず。

そんな父も、今ではブラック企業をやめてだいぶ穏やかになりましたが、当時はとにかく恐怖の対象でしかありませんでした。そのせいで、人の顔色を必要以上に伺いすぎる癖がついちゃいました。

もちろん、もっと大変な家庭はあると思いますし、奨学金を借りたものの、何とか大学を出させてくれましたし、今では穏やかになっているので、最低最悪の家庭環境とまではいかないと思ってます。

ですが、やはり世間一般でいう「温かい家庭」からは程遠かったと思います。

そんな事情なので、学生時代、僕は友達を絶対に家に呼びたくありませんでした。  「学校で友人と話す最も嫌な話題ランキング」堂々の一位は「家族ってどんな人?どんな家住んでるの?車何乗ってるの?」でした。

家庭環境というのは、その人の人間性の根幹部分を構成する重要な要素だと思いますが、そこに大きなコンプレックスを抱えているのが僕という存在です。

146cm

家庭環境から話は変わりますが、これは何の数字だと思いますか?

明治・大正時代の女性の平均身長? いえ、違います。

正解は「筆者の高校入学時の身長」です。ドン引きレベルの低身長っぷりです。  

今では無事身長が伸びて170cmありますが、僕はずっと「チビ」な少年時代を送ってきました。

小学校の頃から背の順は1番前が指定席。身長のことでからかわれたことは数知れず。幸い、身長小さいキャラとしてピエロになりきることができたため、イジメは受けませんでしたが、同学年の友達から一回りもふた回りも小さい僕は、常にイジられ舐められまくってました。高校入学直後なんて、すれ違う生徒は必ず僕を二度見していました。そう、まるで珍獣でも見るように。

まぁ確かに、高校生の中に1人中学生が紛れ込んでるレベルですからね。腹立たしいですが、今思えば分からんでもないです。ですが、すれ違いざま見知らぬ同級生JKに「えww今の子やばくない?www小っちゃすぎでしょwww」と陰口を叩かれた屈辱は忘れない。絶対にだ。

それでも世渡りならぬ学校渡りのためにヘラヘラ笑っていた僕ですが、内心は穏やかじゃありませんでした。「こいつら今は俺のこと舐め腐って馬鹿にしてるけど、将来絶対見返してやるからな、覚えとけよ」と想い続けてました。

人生を変えたい

以上、「家庭環境」と「身長」、この2つのコンプレックスに苛まれた少年時代を過ごしてきた僕は、高校生も3年になる頃には自然と「大人になったらこんな人生絶対に変えてやる、成功してやる」という想いを持つようになりました。

そんな僕にとっての成功の定義は、やはりコンプレックスから逆算されるものでした。

家庭環境が悪かった原因は、「お金がなく貧乏だったこと」            

低身長で学んだことは「弱者と判断され人に舐められる悔しさ」

どうしたら大人になってこの苦しみから抜け出せるのか…。

そこから導き出される答えは、「お金を稼ぐ、裕福な大人になること」でした。お金があれば、余裕を持った生活を送れます。お金があれば、他人から一目置かれます。もちろん、お金だけじゃないんでしょうが、重要な要素であることに疑いの余地はありません。

じゃあ一体どうやったらお金を稼ぐ大人になることができるのか?

スポーツや歌唱力などの特別な才能があればいいですが、自分にそんなものはありません。コンプレックスを拗らせた一般ピーポーです。そんなパンピーがお金を安定的に稼ぐ一番手堅い方法。ネットや本を読み漁って辿り着いた結論。

それは「大企業に勤めること」でした。

大企業は給与が高いうえ、福利厚生もよく、いい家に住めるらしい。外車に乗ることだって夢じゃない。おまけにモテる。これを知った当時の僕は「これしかないじゃん。うわぁ頑張ろう、ビックになろう」そう決心しました。

じゃあ、一体全体どうやったらそんな大企業に勤めることができるのか?進路相談の先生に相談したり、ネットでググりまくった結果知った必要条件は、「学歴」でした。具体的にいえば有名大学を卒業することです。(最低でもいわゆるMARCH卒業は必須)

「そうと決まれば受験勉強だ!」と息巻いて、秒速で参考書を買って勉強を始めた僕ですが、当時通っていた高校は偏差値58程度の県立高校。学年に一人、早慶合格者がでると英雄扱い、そんな感じの学校です。そんな高校で成績が抜きん出て良かったわけでもなく、勉強が好きでなかった自分にとって、有名大学進学は間違いなくハードモードでした。

ここから、精神を病む暗黒の受験生時代が始まります。

 

続く