第19ベースキャンプ

人生に迷う25歳男の日々を綴るブログ

恥の多い生涯を送って来ました 〜その2〜

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前回のあらすじ。

貧乏でギスギスした家庭に育ち、かつ低身長ゆえ他人に舐められるという少年時代のコンプレックスを抱えた高校3年生の筆者は、裕福な大人、いわゆる「勝ち組」になって人生を変えたいと思うように。そのために、有名大学に進学することを目標として受験勉強を開始。しかし、自称進学校(偏差値58)から合格するのは容易ではなく…。

 

受験生時代(現役)

サブタイトルから、受験が長期化したことが滲み出ちゃってます。

現役の時の第一志望は、明治大学でした。というのも、

①偏差値58の県立高校から進学できる現実ライン

②大企業に就職できる最低ライン

この2つを満たすのが、ちょうどMARCHレベル(関東出身なので関関同立は選択肢になし)だったからです。その中でも、直感的に一番かっこいいと思ったので明治大学を第一志望としました。ほんとに、何となくそう感じたからです。

が、当時の僕の学力は志望校合格ラインにさっぱり達していませんでした。特に英語。はじめて受けたセンター模試の英語の点数は、70点(200点満点)でした。国語と日本史にはそれなりに自信がありましたが、結局最後まで英語が足を引っ張り現役時代はMARCH全落ち。「勝ち組になる、そのために有名大学進学!」そう息巻いていた私は、不合格が判明したあと、ショックで目の前が真っ暗になり、1週間ほど部屋に引きこもりました。

受験生時代(浪人)

もう一回遊べるドン!

私の抱えるコンプレックス・負の力は中々に強烈だったようで、落ち込み期間はあったものの、一度の不合格で気持ちが萎え切ることはありませんでした。そのため、滑り止めの東洋大学を迷わずキックして、無事浪人生となりました。

ここで、志望校を早稲田大学に切り替えます。理由はもちろん、大企業に就職するなら、MARCHよりも早慶の方が圧倒的に有利であり、1年間ただひたすら勉強だけできるウンコ製造マシーンになれるのであれば、決して不可能ではないと判断したからです。

ちなみになぜ慶應でなく早稲田かというと、慶應は金持ちが多く、ボンビー家庭出身の自分はコンプレックスで苦しむと感じたからです。その点、早稲田はバンカラなイメージがあり、ボンビーでも肩身狭くないかなと思ったのが志望理由です。(が、実際はそんなことなく裕福な家庭出身のやつが殆ど。これはいずれ記事にしたいです。)

浪人といっても、予備校に通うだけの金銭的余裕はなかったので、自宅浪人(通称:宅浪)となりました。

途中、原因不明の頭痛が何日も続いたり、視界に糸くずが現れる飛蚊症が悪化したりと、勉強がままならない状況に陥り、一時は自殺を考えるくらいまで精神を病んでしまいました(170cm45kgまで体重が減少)。あっさり風に書きましたが、当時は本当に苦しかったです。浪人生であるからには勉強しないと存在意義がないにも関わらず、体の不調から勉強に集中できない。その焦りからストレスがたまり、また体に不調が現れる。そんな負のスパイラルに陥りました。ですが、何とかギリギリのラインで歯を食いしばって踏みとどまり、晴れて早稲田大学商学部に合格。

合格発表の時、受話器から聞こえた「おめでとうございます、合格です」という無機質な機械音声を僕は一生忘れないでしょう。

その瞬間、嬉しすぎて部屋で絶叫した僕ですが、もやしのような生活を送ったことによって弱り切った心臓に過負荷がかかったのか、一ヶ月くらい胸の痛みがとれなくなったのはいい思い出です。当時は死ぬんじゃないかとまじで焦りましたが。

人生のモラトリアム、大学時代

そんなこんなで少し遠回りをしましたが、有名大学進学という大企業就職への第一関門を突破した僕は、少し満足してしまったのか、ひたすら自堕落な大学生活を送ることに。

そう、大企業に就職するという当初の志を忘れて…。

まだせいぜい25年間しか生きていませんが、好き勝手に時間を使ってもまだお釣りがくる大学生活というやつは、これまでの人生で一番幸せな時間でした。

友達と遊んで、バイトして、たまに女の子とデートして、人と会うのに疲れたら1週間くらい引きこもってドラマ・アニメを深夜まで観て、昼頃に起きる生活を送って…。社会人となった今、大学時代というのはまさにモラトリアムで、人生の中でもある種異常な時間だったことを痛感しています。戻れるものなら本当に戻りたい…。切実に。

就職活動

そんな生ぬるい大学生活に浸りきっていた筆者ですが、大学3年生も夏〜秋頃になると就活の足音が聞こえてきます。周りの意識高い連中がインターンやらOB訪問を始めるわけです。「はいはい意識高い高〜い、スタート早すぎて息切れだろ」と内心小馬鹿にしていましたが、ここで僕が浪人してまで大学に入った理由を思い出します。

「でも俺も大企業に就職したくて浪人してまでこの大学入ったんじゃん。意識高いじゃん。スタートダッシュどころかフライング気味じゃん」と。

当初の志を取り戻した僕は、早速就活をスタートさせたわけですが、そんな僕の就活の軸は「金を稼げること」「一目置かれる大企業であること」この2つでした。もちろん、長年抱えたコンプレックスから導き出されたもので、当時は本気でこれが会社選びにおいて最重要項目であると考えていました。

そこから条件に該当する企業を受けまくり、幸いなことに某大手金融機関から内定を貰います。

この時、自分は達成感を得ました。いや、得てしまいました。

冷静に考えると、大企業に就職することはあくまでスタートライン、お金を稼ぐ・裕福になるための手段を得たにすぎません。重要なのは、そこでどう頑張ることができるかであり、当たり前ではありますが、ここからが本番でした。

ですが、大企業に就職することを目的化してしまっていた僕は、入った会社でどう頑張るかまで深く考えていませんでした。漠然と、出世して金を稼げればいいなあという程度です。

「自分に合った仕事か」「興味のある仕事か」という、仕事選びにおいて、当たり前の軸を持たずに会社を決めてしまいました。

その結果、死んだような毎日を送る現在の社会人生活が始まってしまったのです。

 

続く